少々前のことである。午後の眠気に勝てずに自室で仮眠していた時、ふと、豆腐屋のラッパの音を耳にして目が覚めた。
「え?」
聞き違いかと思った。今時豆腐売り?
「♪ト〜フィ〜」
再び聞こえるラッパの音、聞き違いではない。急にノスタルジックな気持ちが押し寄せてくる。時計を見てみると夕方の四時半だった。
私の部屋からは豆腐屋の姿は見えないが、まさか昔ながらに自転車で売りに来ているわけでもあるまい。自転車に乗ってラッパを吹く豆腐売りのオジさんの姿を最期に見たのはいつだっただろう?
そういえば、昔は良く物売りを見かけたっけ。今ではさすがに少ないが、それでも近年まで聞いていた馴染みの音色もある。
「♪チャラリ〜ラリ〜 チャラリラリラ〜」
昔、屋台のラーメン屋が吹いたチャルメラの音。最近でも冬場になると耳にする。もう随分早くから軽トラの屋台に代わったが。
若い頃には時々買っていた。スピーカーから流れるチャルメラの音を聞いて外に出、軽トラを停める。持参のドンブリを出すと豚骨ラーメンを入れてくれる。ドンブリが無ければ別料金でプラスチックの器となる。癖になるほど美味しいわけではないが、インスタントラーメンよりはずっと美味かった。
巡回軽トラ屋台とは別に、福岡県下には福岡市・北九州市・久留米市に固定屋台がある。売り歩くのではなく、それぞれが屋台を開く場所が決まっている。新しくは許可が出ないので権利が売買されており、組合等もいくつかある。店はラーメン屋だけとは限らない。かつてはスッポン屋とかカクテルを出す店などもあった。福岡の屋台では、昔から焼きラーメンなるメニューが人気だが、個人的にはイマイチである。
「♪石焼〜き〜イモ〜」
未だ全国で聞く声ではないだろうか?軽トラがメインだが、私の幼少時分はリヤカーで売り歩いていた。今もリヤカー売りに拘っている会社があると聞く。昔は焼きイモって安かったんだけど、軽トラ販売になって高くなった気がする。売り声は地方や人によって様々。
「♪大ネギ苗、小ネギ苗〜」
そういえば最近聞かないか?ネギ苗をトラックで売り回る声。以前は頻繁に聞いていた気がする。
余談だが、十代の浪人時代埼玉に住み、東京の予備校に通っていた。自炊で冬は鍋モノをする事が多かったのだが、下宿の近くのスーパーで他の食材と共に小ネギを探した。ところが、いくら探しても小ネギがない。何となく似たものと言えばニラだけ。サイズは似ているが平べったいからこれは違うなと頭を抱えた。九州育ちの私は知らなかったのだが、関東には小ネギがない。九州では「ネギ」と言えば小ネギのことだが、関東では長ネギを指す。九州で言うところの大ネギである。身を持って知った、所変われば品変わるであった。
現在では朝倉で開発された万能ネギ(中ネギ)が全国区になっているらしい。
「♪金魚〜え〜金魚〜」
実はこれはTVでしか聞いたことがない。私のご幼少時分でも、金魚売りをリアルに見た経験はない。風鈴売りなんてのも知識でしか知らない。
金魚売りはいなかったが、近所に金魚屋はあった。ペット・ショップ的な金魚屋ではなく(それもあったが)、金魚すくい屋があったのだ。夏祭りに並ぶ金魚すくい屋が使うのは皆モナカのポイ(金魚をすくう道具)だったが、その店は針金に紙を貼ったものだった。後に網もレパートリーに加わった。小さな投網状のものに紐が付いており、金魚に被せて逃げる方向へ上手く網の口を持っていくと、ポイよりも大きな金魚が捕れる。コイの稚魚が狙えたし、小さなものなら2〜3匹同時に捕れることもあった。後になって夜店の金魚すくい屋でも投網式を見かけるようになったが、その店の網は夜店のものよりずっと大きかったので、かなり良心的だったと言えよう。
白い無精髭を生やし、ステテコに腹巻き、ゴム長靴とうジイさんが一人でやっていたその店は、いつも小学生で賑わっていた。
「♪竿え〜竿竹〜」
昔は竹製の物干し竿を売りに来ていただろう。私の記憶にあるのは既にトラックで売り歩いていたもので、金属製の竿にビニルが巻かれていた。後にステンレス製となる。
結婚後、物干し竿が欲しいと思っていた矢先にたまたま回って来た。その時の呼び込みは
「♪物干し竿はいかがですか?丈夫で曲がらないアルミ製物干し竿。一本千円、十年前のお値段です。」
竿屋を呼び止めると、安い竿はアルミ製ではないので、一クラス上のアルミ竿を買えと言う。少々高かったが、二本購入。包装のビニルを剥ぐと、一本には既にヘコみがあった。高いし曲がってるし、謳い文句とまるで違っていた。(-""-;
竿屋は十年以上たった現在でも、同じフレーズで竿を売り回っている。
「♪ポンッ!」
ポン菓子屋に売り声はない。突然とどこからともなく大きな破裂音がする。集団で遊んでいた子ども達は急に色めきだち、屋内にいた子どもも慌てて飛び出してくる。
菓子はどこにでもあるが、名称は地方によって様々のようだ。「ポンポン菓子」などと銘打ったものが売られているが、我が町では「ポン菓子」と呼んでいた。米を熱と圧力で加工した素朴な菓子である。
米と砂糖を持って破裂音の元を探し出すと、ポン菓子屋のオヤジが作ってくれるた。名も知らぬポン菓子屋のオヤジだった。市内をあちこち回っているのだろう、ある日ふらりと我が町に来ては破裂音を響かせる。その音を聞いて、子どもと大人が集まってくる。今ほど店頭に並ぶ菓子の種類も多くなかった時代である、昔ながらの米菓子にもまだ人気があった。
無愛想なオヤジが、大きな筒状の器具を火で焙りながら黙々と回転させる。中には客が持ってきた米を集めたものが入っている。脇では汚い小鍋で砂糖を溶かした水が煮られている。
頃合いを見て圧力のかかった筒を開封するのだが、その瞬間を見たくて子ども達が集まっている。「ポンッ!」という大きな破裂音と共に、紫がかった白煙がモウモウと立ち上る。子ども達が歓声を上げて煙の中へと突進して行き、忍者よろしく手で印を結ぶ。まだまだ猿飛佐助が子ども達のヒーローだった。
筒から取り出したポン菓子に砂糖を煮込んだ水をかけ、大きなヘラでかき回して完成。持ち込んだ米の量に応じ、手持ちの袋に分けられる。普通は一合単位で米を持って来るのだが、半農だった我が家は一升単位で注文した。できたポン菓子は大きめのビニル袋数袋分になった。保存が利くので、長い間おやつはポン菓子中心となる。
腹が空くとポン菓子の袋を開け、おもむろに手のひらですくってバクバクと食う。食べ方に飽きると、咬まずに呑み込むというパターンもやってみたりする。時々塊になったものが見つかるが、実はこれが狙い目。砂糖水でポン菓子がくっついたものなので、他よりずっと甘いのだ。袋の中をまさぐって、ダマになったものを優先的に探し出して食す。
私の知る限り、我が町に来るポン菓子はあのオヤジ一人だけだった。
鳴り物入りの物売りではないが、かつては小学校の近くや通学路にテキ屋のオヤジが時々出没した。
妖しげなオモチャや手品道具を実演販売する。丸い紙の真ん中に灰色のプラスチック・レンズが付いており、それで指などを見るとボンヤリと二重に写る。
「ホラ、こいつで見ると指の骨が見えるという代物だ。鉛筆を見ると中の芯が見えるよ」
試験管状の細い筒に水に入れてあり、ゴム幕の蓋がしてある。筒の中には赤と青のオタマジャクシ状のプラスチック製器具が入っている。蓋に親指で圧力をかけると、ふたつのプラスチックが重なり合いながら浮き沈みする。
「母さんお肩を叩きましょってね。ホ〜ラ、面白いだろ?」
文字通り子供だましのオモチャである。
「どれも今日しか買えないよ。」
実演を見せられた子ども達は走って我が家に帰り、母親に泣きついて小遣いをせびる。
「凄いもん売っとるったい。今日しか買えんったい。」
小銭をせびることに成功した子どもからテキ屋の元に駆け戻り、気に入ったオモチャを手にして悦に入る。小遣いを貰うのに失敗した子どもは羨ましそうにそれらを眺め、自分にもやらせてくれと友人にせがむ。時には、私も小さな優越感を感じた中の一人にいた。
が、帰宅して戦利品を自慢げに親に見せると、「こんなくだらないモノをっ!」と小馬鹿にされ、幼い自尊心を傷付けられゲンナリしたものだ。
懐かしき我が町の物売り達。
ノスタルジックなあの風景はもはや戻ってくることはないだろう。私は私の少年時代を原風景として、21世紀の日本を生きる。現代とあの頃は、明らかに時代が違う、風景が違う。あの時、町は人の声で溢れ、息づいていた。あれらの風景を目にすることができた私は幸運だったように思う。
あの時、我が町は昭和の日本にあった。






